川治温泉~大内宿へ(4) 大内宿・冬景色
2007年 02月 01日
此処大内宿は、江戸時代の宿場の面影を今もそのままに残している山間集落。街道は会津西街道、南山通りまたは下野(しもつけ)街道と呼ばれ、 会津若松と日光今市を結ぶ重要な道でした。
ただし、今年は例年よりも大分雪も少なく、風避けの感じ(^_^;)
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されてしまうと、
家の修理も勝手には出来ず、手続きも大変だそうです。
斜向かいの家・・・スッカリ雪囲いをして、閉まっています。
『笑い栗』の萬屋さんの脇を少し入って行くと・・・
凍み大根がズラリ。新旧、ブラ下がっています。
↓ チョイ、ズーム! もっとズームもあるけれど、クドイから止めておきます。(笑)
一度湯がいたお大根を、このように干して置くと、
凍ったり溶けたりしながら水分が抜けていって、
日にちが経つごとに萎んでいき、色も濃茶に変色をして、
薄べったい凍み大根になるそうです。
春・5月頃になるとお土産品として店頭にならぶそうですが・・・
煮物に使うと、とても美味しいとのこと。
よろづやさんの前・・・この赤い飾り物は何と言うのでしょうね?
お友達に聞いたけれど、忘れてしまって、、
向こうに『防火水そう』という看板! 行ってみなければ、、(^^ゞ
排水路には綺麗な水が流れて、夏場は此処で飲み物が冷やされているらしい。
☆一番上の説明の補足・・・帰りのタクシーの運転手さんからも、このお話を伺いました。
『下野街道は、会津藩が隣国へ通じる際の本道五街道(下野街道、白河街道、越後街道、二本松街道、米沢街道)のひとつで、会津若松城下から日光神領地今市宿までの総延長32里(132km)の街道です。会津から江戸に至る最短ルートとして、政治的・経済的に大変重要な街道でした。豊臣秀吉、伊達政宗、藩祖保科正之(徳川家光の弟)、吉田松陰、イザベラ・バード(英国の女性旅行家)など多くの歴史上の人物が往来しています。』
ここ大内宿は・・・
今度行って始めて気が付いたのですが、良く行く茨城県内を走る時に使っているR118の延長線上にあります。
そして此処が、東京から東武、野岩鉄道、会津鉄道を乗り継いで、ほぼ一直線に、割りと短時間で入っていける事も、始めて知りました。
と言っても、数時間は掛かりますが・・・車を使って須賀川周りで入っていくよりも簡単。
時季を変えて、又訪ねてみたいと思いました。
次は、あの会津鉄道です~
いやぁ~ 熊野が遅れていますね~ カナダ旅行でご一緒だった方からも情報をいただいているのですが、、