函館・市場とカレーと函館港

5月02日(月)
五稜郭から市電に乗り・・・
前日の朝ウイニングホテルのフロントで“あそこなら板前さんも地元の人も行く市場ですから”と薦められた自由市場に。

b0053765_20101573.jpg今回の一番の目的は、美味しい海産物を函館に行って買ってこよう!
市電を降りて右前方に見えているのが自由市場。確かにバスの気配はありません。実は此処へは前日行っているのですが、その時に送る話になった時に“今は鮮魚は航空便で翌日配達”との事で再度。此処で北海シマエビや毛蟹、イクラ、ウニetc.・・・を。この日の内に帰れない場合を考えて翌日の午後配達指定にしておきましたが、結局最終の高速バスに間に合い帰宅出来たので、朝ヤマトに電話をしてみると既に届いているとの返事。午前10時配達に変更を。着いたカニやエビは本当に新鮮で直ぐに弟妹の所などに届け周りましたが、何処からも、後でとても美味しかったと喜ばれました。暮の買出しに此処まで足を運びたい位の市場でした!
 
b0053765_20285315.jpgそして函館に行ったら、それはアナタ・・・
やっぱ五島軒のカレーでしょ!という事で、
雪河亭で、二代目若山徳次郎レシピのリッチ鴨カレーをスープなどとセットで頂きました。鴨の熱の通り具合が丁度良く美味でした。通販でレトルトであるようですが、再度熱を通してしまうと、この鴨の食感が変わってしまうでしょうから・・・どんなものでしょうか?
癖になりそうな味ではありました。

其処から坂を下りて、高田屋嘉兵衛資料館などを見学しながら、金森赤レンガ倉庫群の間を抜け、西波止場へ。その後ウイニングホテルの下の桟橋から出ている遊覧船に乗って函館港めぐりをしたのは午後3時。

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  船から西波止場を見たところ・・・です。


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これは函館港のシンボル。HAKODATE DOCK これ何と言ったら良いのでしょうね?

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函館の正にシンボル。函館山はこの日も市内を見渡して居りました。

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そして此処は東京の雑踏の中。
今回の旅は終わりました。
又二人でのんびりと出かけられたら・・・
いいな。

by canape2 | 2005-05-31 20:50 | ┣ 函館 | Trackback | Comments(0)

函館・五稜郭

5月02日(月) 函館・3日目 
朝風呂に入り宿の周りをのんびりと散歩をし、カメラと小さなバッグのみ残し、荷物は宅配便で頼んだ後、部屋で目の前に広がる津軽海峡の景色を眺めながらゆっくりと朝食を取りました。

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夕方から曇りだし夜には雨も降っていたようでしたが、朝には晴れ上がり、函館山も全容を見せて、目の前を賑やかにカモメが飛び交っていました。海岸の砂浜にそのまま建った様なホテル群ですが、先にはさらに温泉ボーリング作業中の機械が見えています。





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←フロントで市電の一日乗車券を購入。キップというよりも折りたたみの地図も入り、ポケットガイドとして、とても便利でした。



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湯の川温泉駅へ行く途中に見た満開の桜です。家の方ではこういう感じの桜はソメイよりも後に咲くのですが・・・はて?



そして夫の今回の目的の一つ「五稜郭」です。
(夫の家が家康からの徳川家直参の家臣だった事もあり、幕末の歴史を辿ってみたいという想いもあったようでしたが・・・唯、彼方此方と旅をしてみると、綿々と続いた江戸時代の影響はそれぞれの土地の気質ともなって、今に残っている事を強く感じる事が良くあります。そして其れが人間の歴史なのだと・・・タイムスリップという事が本当に出来たら・・・
ずーーーっと先にスリップして今の時代が後に何であったか?・・を見る事が出来たら・・・)
話は大分逸れましたが、五稜郭タワーから見た“五稜郭”です。

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少し周って・・・

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タワーを下りて、この城郭の堀に沿った土手の上をのんびり散歩しました。

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桜はもう一息(^^ゞ
この二日後には綺麗に開花したそうですが・・・
見ると多くの桜が可也傷んで、太い幹がブツブツと切られていました。






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大分回り込んだ所で土手の下に降りてみると・・・
小さな女の子がお母さんと楽しそうにお散歩をしている姿に会いました♪






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昭和になって発見された、戊辰戦争で使われた大砲の弾が展示されていました。
説明を読むと、それぞれ旧幕脱走軍の使っていたのはイギリス製。新政府軍の使っていたのはドイツ製で、時代の流れは既に国内には留まらなかったという事が解ります。

幕末の函館と五稜郭の歴史

by canape2 | 2005-05-31 19:20 | ┣ 函館 | Trackback | Comments(0)

函館・元町界隈散策(3)

5月01日(日)
旧函館区公会堂から、基坂を少し下りた所に「函館市旧イギリス領事館」があります。

b0053765_2219319.jpg函館のイギリス領事館は安政6年(1859)から昭和9年までの間ユニオンジャックを掲げ続け、港町函館を象徴する光景となっていました。何度かの火災にあった後、現在の場所に1913年(大正13年)に英国政府上海工事局の設計により竣工されました。
現在は開港の歴史を伝える記念館として公開されています。



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中には、レストランや英国輸入の雑貨ショップも併設されていて、この明るいティーレストランに立ち寄ってスコーンとお紅茶を戴いた後、ショップにあった帽子を購入しました。





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時の右大臣・岩倉具視の書も、
展示されていました。
館内は撮影自由だったので、
この立派な筆跡に思わずパチリッ☆





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基坂を下りると、この「相馬株式会社」のグリーンの建物が見えます。
この建物が建てられたのは大正2年(1913年)。和洋折衷の木造2階建てで、市の伝統的建造物に指定されています。
函館の豪商相馬が建てたもので、現在も相馬株式会社の事務所として使われています。
夜はライトアップされています。


そしてぐるりと回りこんで広い護国神社を少し上がった所に、司馬遼太郎の「菜の花の沖」の主人公ともなった、高田屋嘉兵衛の大きな立像が立っています。

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高田屋嘉兵衛は淡路島に生まれ、寛政7年(1796)28歳のとき箱館に来航。北前船商法により一代で財をなした豪商です。私財を社会資本に投入して、造船所を起こし、5万坪の埋め立てや植林事業など、現在の函館の基盤を築きました。また、ゴロウニン事件(ロシア北方探検隊の捕虜事件)を解決に導きました。

その後、港を周って宿泊したウイニングホテルの隣の金森美術館で素晴らしい「バカラコレクション」を見た後ショップを覗き・・・ホテルに戻って、2F、3Fのウイニングホールにある“Art Style of GLAY”で4Dシアターやライブ映像を楽しんだ後、預けてあった荷物を受け取って、早めに、二泊目の湯の川温泉にある「しおさい亭・別館花月(はなつき)」へ。
此処の部屋食での一品ずつ運ばれて来る会席料理は中々美味でしたし、海を目の前にした部屋付きの露天風呂も檜の木の香りのする、とても心地の良いお風呂でした。
今回は前日のホテルも、このホテルも、
又、函館に行くのだったら再度利用したいと思う、印象の良いホテルでした。

そして、翌日は五稜郭へ・・・

by canape2 | 2005-05-31 00:33 | ┣ 函館 | Trackback | Comments(0)

旧函館区公会堂  函館・元町界隈散策(2) 

5月01日(日)
↓でお話をしたハリストス教会の並びにある元町のランドマーク「旧函館区公会堂」です。

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明治43年(1910)に建てられたルネサンス風の木造建築で、シンメトリーの美しいバランスを
保っています。コロニアル・スタイルと称され、2階にはベランダを配し、玄関と左右入口及び2階には、柱頭飾りのある特徴的な様式。札幌の豊平館と並ぶ、当時としては最もモダンな建物で、昭和49年に国の重要文化財に指定されました。内部も御座所、御寝室、大食堂、球戯室など見どころも多く、重厚な内装を含め、設計技術は高く評価されています。昭和天皇が摂政宮殿下として行啓の際、宿舎として使用された由緒ある建物です。
建築のきっかけになったのは、明治40年(1907)の大火。町会所が焼失したため「公会堂建設協議会」が結成されたが、大火後のため思うように寄付金が集まらず、見かねた時の富豪、初代相馬哲平がポンと5万円を寄附、これを元に5万8千円で建設されました。
函館名物”大火”。確かに強風に慣れている私でも、三日目に体験した海峡から吹き抜ける風と、山から吹き下ろす“函館の風”にはビックリでした。


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左側からは中央バルコニーが良く見えています。







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道路を隔てて下の“元町公園”からも、木立に隠れて正面からの全体像は撮れませんでした。
後ろは函館山です。





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レセプション・ルーム
壁、天井には植物模様(アールヌーボー様式)の外国製壁紙が使われています。
そして椅子の布地は全て高級な絹織物で出来ています。



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大広間
腰廻りが板張りで、それより上は白漆喰塗仕上げとなっていて、バルコニーへのドアは採光のためか上半分が縁模様入りガラスになっています。現在はコンサートホールとして使用されています。(一度此処で聴いてみたいと思いました)



大広間左手からバルコニーへ・・・
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                             バルコニーからの街並みと港です。
                      

by canape2 | 2005-05-10 22:26 | ┣ 函館 | Trackback | Comments(4)

函館・元町界隈散策(1)

先ずは、函館の歴史から・・・
函館は、函館山の裾野から港内にかけて開けたマチです。もともとは「箱館」であり、名前の由来は、室町時代の1450年ころに、河野政道という豪族が現在の元町公園付近にある「旧市立函館病院跡」に、「箱のような館」を築いたことによると言われ、それまでは、「宇須岸(ウスケシ)」と呼ばれていました。
江戸時代末期の1854年に、ペリー提督率いるアメリカ黒船艦隊が来航し、太平洋での捕鯨船の燃料と水・食糧等の補給港として、函館の開港を迫ってきました。それがきっかけで、1859年に貿易港として函館は開港することになり、明治初期から昭和初期まで、東京以北では最も発展した町となりました。
函館は函館山の裾野から開け、その居住区の19の坂道にはそれぞれ名前がつけられていて、「基坂(もといざか)」「八幡坂(はちまんざか)」「二十間坂(にじゅうけんざか)」「大三坂(だいさんざか)」「幸坂(さいわいざか)」などがあります。

5月01日(日)
二日目は、ゆっくりと一日掛けてこの山麓に広がる地域を見て周りました。
日和坂を下りた所に立つホテルを朝食をゆっくりと取った後に、下から上がりながらの散歩は結構キツイので最初にハリストス正教会までタクシーで上がってしまって、そこからジグザグに降りる事にしました。
そして、タクシーが着いた所はハリストス教会の裏側。
急な細い坂、チャチャ登りの上でした。
此処前夜も函館山からの帰りにライトアップされているので寄っていますが・・写真はアウト!

其処から下を見下ろすと左手にハリストス。右手に聖ヨハネ教会が見えます。

b0053765_22204216.jpgロシア風ビザンチン様式の教会で、安政年間の教会は大火などで焼失、大正5年(1916)に再建されました。文久元年(1861)に来箱したハリストス正教会の司祭ニコライが、キリスト教徒が国禁下におかれていたにもかかわらず、日本で初めてロシア正教を伝道した由緒ある教会で、東京・神田ニコライ堂の鐘は、昭和3年にここから移されたものです。


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明治7年(1874)、イギリスの宣教師デニングが北海道に伝道のため来函したのが始まりで、4年後に教会が出来ましたが、火災で類焼し、大正年間現在地に移りました。現在の建物は、昭和54年に改築したものです。英国プロテスタントの教会で東京聖路加病院や立教大学なども、この教会の系統。函館においても明治年間に、女学校やアイヌ学校、病院を建てるなど、大きな業績を残しています。

b0053765_2304565.jpgこの二つの教会の前を下りる大三坂です。
この直ぐ右下に亀井勝一郎さん生誕の碑が見えています。
此の地に生まれ函館中学から、山形高等学校、東京帝国大学に学び後に文芸評論家、思想家として活躍されました。
著書の「大和古寺風物詩」は入江泰吉さんの写真集と共に私の若き日の愛読書でした。
亀井氏は終生、函館弁を使い、函館のサケや寿し、イカの刺身を好んだそうです。
青柳町には「人生邂逅し開眼し瞑目す」と刻まれた文学碑があるそうです。
又「大和古寺・・」の中で、光明皇后をモデルにしたと伝えられる法華寺の本尊・十一面観音に思いを巡らせ、そこでは光明皇后の面影を偲び・・「そしてそういう御方は、必ず美しい方であったに違いないと憶測した後代人の、その憶測もまた美しい・・・」 と。確かにあった筈のこの本が? 今手元にあるのは「旅路」という本が一冊。どちらも又ジックリと読んでみたいと思っています。

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若き日に、
この二冊を切っ掛けとして、どっぷりと浸った古寺・仏像への想像の世界。熱き心が其処にはありました。
私の青春の原点ともなった、
その所縁の地に、
夫と一緒に立てた事を、
とても幸せに思いました。

by canape2 | 2005-05-08 22:42 | ┣ 函館 | Trackback | Comments(0)

函館の夜景☆

4月30日(土)
先ずは“函館の夜景”として良く紹介されている、函館山から見た昼間の景色です。
向こうに見えている山が大沼からの山越えをしてきた、城岱高原です。左手に木の影に隠れていますが駒ケ岳が見えています。
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函館山へは夕方からは、タクシーと観光バス以外、一般車両は進入禁止になります。
そして、ゴールデンウィーク中でもありロープウェイも大分待たないと乗れないようでしたので、昼間と同じタクシーに夕方6時半に再度ホテルに迎えに来て頂いて、夜の函館を観光しました。

☆函館山について少し・・・
函館山は古火山であり、函館湾と津軽海峡の海の流れが、砂(函館山の火山噴出物など)を少しずつ運んできたり、川が土砂を押し流してきたりして浅瀬を埋め立て、向かいの陸地とつながった陸繋島です。


ホテルは函館山の麓。市電の駅も直ぐ傍で、目の前は港という絶好の場所でしたので、
展望台にもアッという間に着きました。そこで展望台に上がり待つ事30分・・・
昼間は上着も要らず綿のセーター一枚でも暑いくらいでしたが、山の上は夜ともなると可也冷え込んで、帽子とジャケットの上にさらにウインドヤッケを羽織る程の寒さになっていました。
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                                           pm7:00
     この半島の一番狭くなっている所は、幅1km弱。昔はもっと細かったそうです。
                        

此の後、函館山の中腹にあるライトアップされた洋館を一回りしました・・・                                  
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左が旧開拓使函館支庁書籍庫。右上の少し見えているのが旧函館区公会堂です。
教会の写真は、ぼや~っとした写真にしかなりませんでした(^_^;)

その後運転手さんに案内してもらったお店で食事。
ホテルまではそれ程遠くないようにも思いましたが・・店前で客待ちをしていたタクシーに。
ホテルに入る前に、目の前の西波止場の明かりに誘われて行って見ました。
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           夜の9時を少し過ぎていて既に閉店時間。人影の殆ど無い波止場でした。

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此方はホテルから撮った函館港です。
中央奥には昔、北海道と本州を結ぶ連絡線として活躍をした“摩周丸”が岸壁に保存展示され、、ライトアップされているのが見えています。
函館市では“函館山からの夜景”を観光として意識した照明を考えているそうです。
右下、白壁に黒い屋根の建物が金森美術館。フランス・バカラ社の素晴らしいクリスタルが展示されています。(二日目に寄ってきました)

by canape2 | 2005-05-04 22:15 | ┣ 函館 | Trackback | Comments(2)

城岱(しろたい)高原を越えて、トラピスト修道院へ…そして

4月30日(土)
飛行場からは比較的平坦な道の高速道路を抜けて大沼へ。戻りは城岱高原越えをして函館市内内を抜けて、其処からトラピスト修道院へと周りました。

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城岱(しろたい)高原の見晴台から函館市内を眺望。真ん中の海に突き出した小高い山が夜景撮影スポットの函館山です。
津軽海峡の向こうには左に下北半島、右に津軽半島もクッキリと間近に見えていましたが、このような事は年間を通して滅多にない事のようでした。

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↑の写真から、カメラを右に振って撮ったものですが、
中央に見える丸い小高い山に「トラピスト修道院」があります。
その先に見えているのは松前半島です。





     そして、トラピストへの道・・・

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          辿り着いてみると、鉄柵の門がシッカリと閉まっていました。

隙間からパチリッ!

1896年(明治29)年、フランスからジェラル・プーリエら9人の修道士たちがこの地に訪れ、日本最初の男子トラピスト修道院を創設しました。

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正式名称は「厳律シトー会灯台の聖母大修道院」といい、現在の赤レンガの建物は、最初の修道院が焼失したため、1908年(明治41)に建てられたもので、今も40人ほどの修道士たちが、ここで「祈り」「読書」「労働」という厳しい戒律のもとで生活を送っているそうです。女人禁制。



    振り返って見ると・・・下は津軽海峡です。

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渋滞もなく予定より早く此処まで着いたので、此の後立待岬まで周ることになりました。


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岬からは下北半島が、
さらに良く見えて、
朝ドラの舞台となった
大間の町まで、はっきりと
確認出来ました。 






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立待岬は、
函館山の南東にあり、
津軽海峡に突き出た岬です。           

by canape2 | 2005-05-03 07:50 | ┣ 函館 | Trackback | Comments(2)

函館・トラピスチヌ修道院~大沼へ

4月30日~5月2日にかけて函館へ行ってきました。
羽田を10時過ぎの飛行機で発ち、1時間半で快晴の函館に到着。
前もって予約をして置いたタクシーで、9年前に雲に隠れて見えなかった駒ケ岳を見る為に、大沼にへ向かいました。
運転手さんとお話をして、その途中にあるトラピスチヌ修道院に先ず寄る事になりました。

トラピスチヌ修道院は、1898(明治31)年にフランスから派遣された8人の修道女たちによって創立された女子修道院です。正式名は「厳律シトー会天使の聖母大修道院」。上磯町にある「トラピスト修道院」と同系の修道院です。現在の建物は、司祭館が1913(大正2)年の建築、聖堂は焼失した明治末期の建物を昭和初期に再建されたものです。
兵庫県西宮、佐賀県伊万里、栃木県那須、沖縄県宮古島に開設されている修道院はここの分院。

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         前庭の明るい、緑色の屋根と赤いレンガの美しい修道院でした。

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次に行った大沼は、函館に近い景勝地で、公園区域には駒ヶ岳と山麓の大沼などの湖沼群が入っています。
駒ヶ岳(1,131m)は円錐形の成層火山でしたが、爆発によって崩壊を起し、山頂部は特異な形をしています。
また、崩壊による泥流は山麓部の凹地を堰き止めて、大沼、小沼、蓴菜沼などの湖沼群を作りました。大沼は一番大きく、大小多数の島々を浮かべ、イタヤカエデ、シラカバなどからなる森林の新緑、紅葉が美しく、裏磐梯と似た風景を現しています。
新日本三景の一つで国定公園に指定されています。

大沼から駒ケ岳を望む・・・

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今回は雲一つない素晴らしい天候に恵まれました。が・・・
季節を変え、時間を変えて、写真を撮れたら良いなぁ~と思いました。(^_^)

夫は、秋に時間が取れたら来ようと言っていましたが、北海道も広いので他に紅葉(黄葉かな?)の美しい所も沢山あるでしょうから、それはその時に又。

by canape2 | 2005-04-30 16:50 | ┣ 函館 | Trackback | Comments(0)