続・夢十夜

先日ご紹介をさせて頂いた『玉能回路』、鈴木玉能さんのパリでの公演の様子を、
今回の企画に携われたご友人の海外リポートとして拝読させて戴く機会に恵まれました。
その大成功裡の日仏文化交流の様子と、何故に言葉の壁を越えてフランス人に涙の感動を送ることが出来たかと言うお話を、又お許しを得て此処に掲載をさせて戴きます。
長くなりますが・・・何処か抜くという事は、その方の仰りたい事が、そこで違ってしまう可能性がありますので、全文紹介をさせて頂く事に致しました。
最近は此処にいらして下さっている方も更に増えてきて、お読み下さる皆様もきっと、
玉能さんの「良い物を紹介したい」という情熱に心を動かされ、そのお声と表情を、まるでその場に居合わせたように感じとられるのではないかと思っています。

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        日仏文化の線上  ~100万回泣いたフランス人~

4月18日、パリの日仏文化センターにおいて、「語り」と「音楽」とのコラボレーションによるとてもユニークな公演を開催した。この公演と企画・運営をお手伝いさせていただくことになった経験を通して垣間見えた、フランス人の文化観や日仏文化の接点について、今回は紹介させていただきたい。

公演の概要とフランス人の反応
 公演では、「夢十夜」(夏目漱石)と「100万回生きたねこ」(佐野洋子作)の
「語り(日仏両語)」の美しさ、さらにその背景にある人間の深層心理や「愛」などに
ついて、「音楽(フルート・ピアノ」の調べとともに、フランス社会の人々にも感じ取っていただくことを意図したプログラムが組まれた。日本では芸術の域に達している「語り」をフランスで公演する試みは、文化大国フランスと言えども、とても珍しいことである。
 実際の公演ではご来場いただいた日本人からは勿論、フランス人からも多くのすすり泣く声が聞かれた。フランス人にその理由を聞いたところ、ストーリーは勿論のこと、
「語り」の声の美しさ、表情、しぐさ等の全体から発せられるエネルギーに、胸が熱くなったとの事であった。ある人の言葉を借りれば「日本語なのかフランス語なのか分らなくなるほど、物語に引き込まれた」とのことであり、国境の壁、言葉の壁を越えて、
「愛」に共感を抱いていただくことが出来た公演となった。

「線」の存在
 フランス人が共感をした背景を考える上で、無意識的に存在する「線」について理解する必要がある。つまり、我々には、日本文化とフランス文化、「演奏する者」と「演奏を聴く者」など、2つのものの間に、「線」引いて、「こっち」と「あっち」とを区別して考える習慣がある。すなわち、自分の側である「内」と自分の側ではない「外」との区別である。このことは企業経営においても同様のことが観察される。すなわち、文化支援においては「支援するもの」と「支援されるもの」、マーケティングにおいても、
「サービスを提供するもの」と「サービスの提供を受けるもの」との間に存在する「線」である。こうした「線」のある経営に限界が見え始めたことから新たに生まれてきたのが、「価値共創」や「内と外との相互作用」などの概念である。
「線」の上に立つ事により、「こっち」と「あっち」の区別がなくなり、両者にとっての最大限のメリットを追求しようとするインセンティブが生まれる。
 今回の公演の企画段階において、フランス側から指摘されていたのが、まさに、「どのようにして『線』の上に立つのですか」という問いであった。すなわち、どのようにして「語り」によって、フランス人の共感を獲得するのかという問いである。日本側で準備したのが、フランス語による「語り」、フランス語資料の作成等であったが、何よりも、音楽をバックにした日本語での美しい「語り」そのものによって、「線」の上に立つことが試みられた。

日仏文化の線上
 日本文化とフランス文化との間には、「線上」に立つことを後押しする、いくつかの共通点があることも幸いした。
先ず、日本語には独自のリズムや旋律があるが、フランス語にも、リズムグループと呼ばれる独自の言い回しがある。文章の意味の句切れにおいて、イントネーションが上がるのだ。フランス人は、リズムのある美しい言い回しに、日常から親しんでいることが、日仏文化の線上に立つ一つの手掛かりであった。
 もう一つの手掛かりは、浮世絵に代表される「ジャポニズム」と呼ばれる日本趣味・日本心酔が、フランス文化の土壌にはあったことである。読み聞かせや口伝えのかたちで歴史を刻み、芸術の域にまで達した日本の「語り」に対して、言葉の意味を超えて、その背景にある「思い」を感ずるだけの文化的土壌がフランスにあったことも見逃せない。
そして何よりも、私の友人である語り手の、言葉遣い、表情、人柄など全体から発せられるエネルギーそのものに、フランス人が引き込まれていったに違いない。まさに、フランスにおいて、その語り手が語ったからこそ、日本の「語り」が、演奏者と聴衆との間の「線」を越えて、共感を呼んだのではなかったのかと考えている。

おわりに
 この公演の準備が始まったのは丁度半年前。会場探しの段階では、「フランス人には理解できないのではないか」との理由で断られたこともあった。しかし、日本の「語り」をフランスで語ることに対する友人の熱意が通じ、在仏日本大使館、フランス文化界、駐仏日系機関などのご支援をいただき、開催にこぎつけることができた。
 私自身、フランスでは無名の日本人アーティストが、フランス社会でこれほど受け入れられるとは思っても見なかったことである。今回の公演で改めて学んだことは、「良いもの」をそのありのままの姿で受け入れるフランス文化の懐の深さである。また、こうした活動を応援する「熱意」を持った人々がフランスには大勢いることが、文化大国フランスを支えているということを、駐在3年目にして、ようやく身をもって実感できたというのが率直な感想である。
by canape2 | 2006-05-03 10:42 | 折々の記

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